おっさんになると昔話が増えるとはよく言ったもので、
僕もとうとう29歳。立派なアラサーになりました。
「おじさんじゃない! おにいさんd……あ、オッサンだ」
といったシーンがままある痛々しい年頃ですね。
涙ぐんできました。
さて、程よく空気が冷め切ったところで
改めて自己紹介をしたいと思います。
CHANGといいます。
この名前が小学校からのあだ名で
本名とはかすりもしていませんが、
割と気に入っています。
だいたい初対面で「チャンです」っていうと
「ん? すいませんもう一回」と言われます。
在日じゃないです。品川で生まれて練馬で育った
穏やかな心を持つ練馬人です。とっくにご存知なんだろ?
ポケカをはじめてかれこれ14年ほどになりますが、
つらつら書いても面白くないので
シリーズに沿って書いてみましょうかね。
さてはて……
(暖炉の前でひざ掛けをかけて椅子に揺られて子供に囲まれながら)
※けっこう長いよ!※
----------------------------------------------------------
■初代期(初代~ジムリーダーパック)
中学3年生の夏、とある友達に呼び止められる。
「ポケモンって、知ってる?」
聞くと文化祭の出し物でポケモンを題材にイベントをやるらしい。
GBでちょこっとだけやってた僕は剣道部の稽古をほったらかし
有志団体「TPM」に入り、昼夜企画を練り会議をし
お小遣いをひねり出してイベントを立ち上げた。
カード大会、ゲーム大会を教室のモニターを使って催し、
都内有名私立中学(G習院)の文化祭にて来場者数1位を記録。
表彰を受けたことで同級生たちの目も次第に変わっていった。
時代はターボ亀やリザードンフシギバナがいたころ。
■neo
高校にエスカレーターしたとしても、僕たちの団体は
引き続き同じイベントを企画した。
上級生の揶揄は勿論あったが、実績を盾に学長を説得。
学長「いいよっていうか好きなことやんなさいよ学祭なんだし」
ポケモンコロシアムを使った大会を実施、
中高一貫のため、中学受験に来た子供や学外のプレイヤーも交え
近辺である程度有名にまでなる。来場者数は野外ライブに次いで2位。
ハンデスプクニューなどがはやり始めた時期。
この頃が最もトレーナーの暴走が激しく、
ロケット団ハンデスが横行しプレイヤーの格差が広がった。
そんな最中使ってたのはエアームドとRストライクの中型デッキ。
■カードe
エスカレーターに失敗した僕は浪人になっていた。
江戸時代の浪人と違ってかっこわるいのが今の浪人。
代ゼミに通いながら初めてのオフ会に参加してみる。
ゲーム勢はなんかいつも気持ち悪いなあと思っていたところ、
ポケモン老舗サイト「みゅうはぁと」のオフ会に参加するようになる。
そこで本当に多くの人と知り合い、趣味の友人というものを知る。
「こだわりジム」を覚えているひとはいるかな。
その面子と知り合い、参加回数を重ねるうち、みゅうはぁとの
関東オフ会幹事になり、またまたイベント運営を重ねた。
旧ウラの頃から使っていたゲンガー(やみのちから)が新裏にも
ついてきてくれたことがポケカのモチベの根底になる。
退化スプレーを駆使してやみのちからを連発するデッキが
当時僕の代名詞に。
■ADV
大学入学。みゅうはオフの面子と定期的に会うようになり、
本格的にポケモンまみれの日々になる。
(ちなみに大学のサークルはオタ系じゃない雑誌編集サークル。
2年目にして編集長になった)
バトルロードが定期的に開催され、年に2回の楽しみに
更にはコスプレまでするように。
グラエナとボーマンダの擬人化をすることで、
さりげに服を作れるようになる。
この頃使っていたデッキはアブソルゲンガー。
闇の力連発でポケモンを手札に戻され、
増えきった手札を5枚にハンデスすることで
相手のポケモンをトラッシュに送る陣形破壊。
■PCG初期
みゅうはぁとが崩壊し、ポケカ公式の援助もあり
ポケカジムを運営するように。僕のジム
「さぁ、貴方も一緒に錯乱ジム」に
「イトマルネットジム」
「こだわりジム」の3ジムで提携し
「さ・イ・こ クラッシャーズ」という団体を作る。
代表は僕。
syunとはここで知り合い、当時イトマルだった彼を錯乱ジムにひきずりこんだ。
また、しゅーちゃんをスカウトしたのもこの頃。
おそらく女性プレイヤー比率が日本で一番高いチームだったと思う。
当時総勢18名ほど。
旧ウラから最新まですべてのカードが使える
独特のレギュレーションを採用することで古参まで参加できる
「さイこロード」というイベントを年4回実施。
レイアウトや音楽、企画まで「大会だけじゃない楽しいイベントを」を
コンセプトに毎回厳しい会議が行われ、
ネットがまだ発達していないにも関わらず常連始め
それなりの集客を実現した。
当時使用していたのは同じくグラエナゲンガー(殴れるようになった)と
ボーマンダピジョット。
■PCG後期
大学3年生になり、就職活動を始める前に
「今までやってきたポケカ人脈をフルに使って、
日本一の自主開催イベントをやろう!」と思い立つ。
カード界だけでなく、ゲーム界にも殴りこみ。
エネコオフで有名だったリュカくんを引き込み
覇空の翼LANGEさんや初代ポケカジム「メルロンジム」のケンタ、
関西の著名チーム「チームココア」などとも提携。
煮物くんやココアさんともここで知り合う。
ここに今回のイベント運営団体として「PSYCHO STORM」を結成、
日本中のポケカプレイヤーに周知し、たった10ヶ月もの強行スケジュールで
予算数十万を社会人に出させ日本最大の自主開催イベント
「Psychostrom Presents Pokemon Convention」略して「P:CON」を開催。
スタッフ総勢40名以上、誘導人数130名以上。
業者を導入させ、一切の妥協のない演出とプログラムで
文字通り血と汗と涙の結晶として
二日間(1日目ゲーム、2日目カード)の大イベントを大成功に収める。
おそらくkomaさんやsyoくんも参加してくれてたような。
2日目の打ち上げは翌朝まで続いた。
当時のデッキは海底遺跡入りやみのちからゲンガー。
■DP初期
社会人になり、ポケカイベント運営からも離れる。
が、当時の仲間は一生のダチとしてつづく。
その繋がりからか色んなひとと知り合うが、
身内含めポケカ引退が続く。僕もゲンガーのレギュ落ちと共に
引退を考えたが、ポケカしない人生が考えられないので続投。
当時のデッキはボーマンダピジョットサーナイトδ。
バトルロード関東決勝8位が最高実績。
■DP後期
イベントからは完全に身を引く。
当時の彼女とも別れ、カジュアルプレイヤーとして
細々と続ける。WCS2009は予選落ち、WCS2010も予選落ち。
転職もし、本格的にweb広告業界に。
その合間に平日ジムチャレに参加し、
おやじプレイヤーの方々とお知り合いになる。
■BW
以前の職場の後輩で2年半付き合ってきた彼女と結婚。
ポケカをやることに反対はないが、
それによって置いてけぼりになるのが
最大の問題。また、難しいからカードはしたくないらしい。
現在は細々とジムチャレ参加の片手間、
iphone片手に常にデッキを考えている。
朝8時半から夜24時まで、帰って2時半まで仕事して寝るという
ライフスタイルの変化のため、平日ジムチャレが完全に不可に。
悶々とした日々を送っている。
----------------------------------------------------------
以上。
うーん、こう振り返ってみると色々やってますねえ。
っていうか、イベントばっかですね。
折角広告業界にいるんだから、
イベント扱う代理店に行ったほうが良かったかな?
まあ、まだ遅くないか。
ちなみに誤解のないよう言っておくと、趣味はほかにもあります。
本ブログ(全然更新してない)で記載しますが、
最近だとダーツ、カクテル、うまいもん探し。
ちょっと前だとボルダリング、ポタリングなどやってます。
ライブにいくのも好きです。
まぁ、こんな感じです。
物凄く長くポケカやってますが、
逆にポケカから得たものが物凄く大きくて、
むしろ僕の人生を形成していたものの根底がポケモンだと思うので
このことは僕の誇りであり、一部なのです。
妻がこのことを認めてくれて本当によかった。
付き合って1ヶ月、温泉旅行の夜。
僕「…あのさっ、俺、隠してたことがあるんだっ…」
彼女「…うん? なに?」
僕「実はさ…俺、ポケモンが好きなんだ…!」
彼女「…………」
彼女「……それが?」
よかった…ッ!
そんなわけで今後ともよろしくお願いします。
オチ? ねえよ。
僕もとうとう29歳。立派なアラサーになりました。
「おじさんじゃない! おにいさんd……あ、オッサンだ」
といったシーンがままある痛々しい年頃ですね。
涙ぐんできました。
さて、程よく空気が冷め切ったところで
改めて自己紹介をしたいと思います。
CHANGといいます。
この名前が小学校からのあだ名で
本名とはかすりもしていませんが、
割と気に入っています。
だいたい初対面で「チャンです」っていうと
「ん? すいませんもう一回」と言われます。
在日じゃないです。品川で生まれて練馬で育った
穏やかな心を持つ練馬人です。とっくにご存知なんだろ?
ポケカをはじめてかれこれ14年ほどになりますが、
つらつら書いても面白くないので
シリーズに沿って書いてみましょうかね。
さてはて……
(暖炉の前でひざ掛けをかけて椅子に揺られて子供に囲まれながら)
※けっこう長いよ!※
----------------------------------------------------------
■初代期(初代~ジムリーダーパック)
中学3年生の夏、とある友達に呼び止められる。
「ポケモンって、知ってる?」
聞くと文化祭の出し物でポケモンを題材にイベントをやるらしい。
GBでちょこっとだけやってた僕は剣道部の稽古をほったらかし
有志団体「TPM」に入り、昼夜企画を練り会議をし
お小遣いをひねり出してイベントを立ち上げた。
カード大会、ゲーム大会を教室のモニターを使って催し、
都内有名私立中学(G習院)の文化祭にて来場者数1位を記録。
表彰を受けたことで同級生たちの目も次第に変わっていった。
時代はターボ亀やリザードンフシギバナがいたころ。
■neo
高校にエスカレーターしたとしても、僕たちの団体は
引き続き同じイベントを企画した。
上級生の揶揄は勿論あったが、実績を盾に学長を説得。
学長「いいよっていうか好きなことやんなさいよ学祭なんだし」
ポケモンコロシアムを使った大会を実施、
中高一貫のため、中学受験に来た子供や学外のプレイヤーも交え
近辺である程度有名にまでなる。来場者数は野外ライブに次いで2位。
ハンデスプクニューなどがはやり始めた時期。
この頃が最もトレーナーの暴走が激しく、
ロケット団ハンデスが横行しプレイヤーの格差が広がった。
そんな最中使ってたのはエアームドとRストライクの中型デッキ。
■カードe
エスカレーターに失敗した僕は浪人になっていた。
江戸時代の浪人と違ってかっこわるいのが今の浪人。
代ゼミに通いながら初めてのオフ会に参加してみる。
ゲーム勢はなんかいつも気持ち悪いなあと思っていたところ、
ポケモン老舗サイト「みゅうはぁと」のオフ会に参加するようになる。
そこで本当に多くの人と知り合い、趣味の友人というものを知る。
「こだわりジム」を覚えているひとはいるかな。
その面子と知り合い、参加回数を重ねるうち、みゅうはぁとの
関東オフ会幹事になり、またまたイベント運営を重ねた。
旧ウラの頃から使っていたゲンガー(やみのちから)が新裏にも
ついてきてくれたことがポケカのモチベの根底になる。
退化スプレーを駆使してやみのちからを連発するデッキが
当時僕の代名詞に。
■ADV
大学入学。みゅうはオフの面子と定期的に会うようになり、
本格的にポケモンまみれの日々になる。
(ちなみに大学のサークルはオタ系じゃない雑誌編集サークル。
2年目にして編集長になった)
バトルロードが定期的に開催され、年に2回の楽しみに
更にはコスプレまでするように。
グラエナとボーマンダの擬人化をすることで、
さりげに服を作れるようになる。
この頃使っていたデッキはアブソルゲンガー。
闇の力連発でポケモンを手札に戻され、
増えきった手札を5枚にハンデスすることで
相手のポケモンをトラッシュに送る陣形破壊。
■PCG初期
みゅうはぁとが崩壊し、ポケカ公式の援助もあり
ポケカジムを運営するように。僕のジム
「さぁ、貴方も一緒に錯乱ジム」に
「イトマルネットジム」
「こだわりジム」の3ジムで提携し
「さ・イ・こ クラッシャーズ」という団体を作る。
代表は僕。
syunとはここで知り合い、当時イトマルだった彼を錯乱ジムにひきずりこんだ。
また、しゅーちゃんをスカウトしたのもこの頃。
おそらく女性プレイヤー比率が日本で一番高いチームだったと思う。
当時総勢18名ほど。
旧ウラから最新まですべてのカードが使える
独特のレギュレーションを採用することで古参まで参加できる
「さイこロード」というイベントを年4回実施。
レイアウトや音楽、企画まで「大会だけじゃない楽しいイベントを」を
コンセプトに毎回厳しい会議が行われ、
ネットがまだ発達していないにも関わらず常連始め
それなりの集客を実現した。
当時使用していたのは同じくグラエナゲンガー(殴れるようになった)と
ボーマンダピジョット。
■PCG後期
大学3年生になり、就職活動を始める前に
「今までやってきたポケカ人脈をフルに使って、
日本一の自主開催イベントをやろう!」と思い立つ。
カード界だけでなく、ゲーム界にも殴りこみ。
エネコオフで有名だったリュカくんを引き込み
覇空の翼LANGEさんや初代ポケカジム「メルロンジム」のケンタ、
関西の著名チーム「チームココア」などとも提携。
煮物くんやココアさんともここで知り合う。
ここに今回のイベント運営団体として「PSYCHO STORM」を結成、
日本中のポケカプレイヤーに周知し、たった10ヶ月もの強行スケジュールで
予算数十万を社会人に出させ日本最大の自主開催イベント
「Psychostrom Presents Pokemon Convention」略して「P:CON」を開催。
スタッフ総勢40名以上、誘導人数130名以上。
業者を導入させ、一切の妥協のない演出とプログラムで
文字通り血と汗と涙の結晶として
二日間(1日目ゲーム、2日目カード)の大イベントを大成功に収める。
おそらくkomaさんやsyoくんも参加してくれてたような。
2日目の打ち上げは翌朝まで続いた。
当時のデッキは海底遺跡入りやみのちからゲンガー。
■DP初期
社会人になり、ポケカイベント運営からも離れる。
が、当時の仲間は一生のダチとしてつづく。
その繋がりからか色んなひとと知り合うが、
身内含めポケカ引退が続く。僕もゲンガーのレギュ落ちと共に
引退を考えたが、ポケカしない人生が考えられないので続投。
当時のデッキはボーマンダピジョットサーナイトδ。
バトルロード関東決勝8位が最高実績。
■DP後期
イベントからは完全に身を引く。
当時の彼女とも別れ、カジュアルプレイヤーとして
細々と続ける。WCS2009は予選落ち、WCS2010も予選落ち。
転職もし、本格的にweb広告業界に。
その合間に平日ジムチャレに参加し、
おやじプレイヤーの方々とお知り合いになる。
■BW
以前の職場の後輩で2年半付き合ってきた彼女と結婚。
ポケカをやることに反対はないが、
それによって置いてけぼりになるのが
最大の問題。また、難しいからカードはしたくないらしい。
現在は細々とジムチャレ参加の片手間、
iphone片手に常にデッキを考えている。
朝8時半から夜24時まで、帰って2時半まで仕事して寝るという
ライフスタイルの変化のため、平日ジムチャレが完全に不可に。
悶々とした日々を送っている。
----------------------------------------------------------
以上。
うーん、こう振り返ってみると色々やってますねえ。
っていうか、イベントばっかですね。
折角広告業界にいるんだから、
イベント扱う代理店に行ったほうが良かったかな?
まあ、まだ遅くないか。
ちなみに誤解のないよう言っておくと、趣味はほかにもあります。
本ブログ(全然更新してない)で記載しますが、
最近だとダーツ、カクテル、うまいもん探し。
ちょっと前だとボルダリング、ポタリングなどやってます。
ライブにいくのも好きです。
まぁ、こんな感じです。
物凄く長くポケカやってますが、
逆にポケカから得たものが物凄く大きくて、
むしろ僕の人生を形成していたものの根底がポケモンだと思うので
このことは僕の誇りであり、一部なのです。
妻がこのことを認めてくれて本当によかった。
付き合って1ヶ月、温泉旅行の夜。
僕「…あのさっ、俺、隠してたことがあるんだっ…」
彼女「…うん? なに?」
僕「実はさ…俺、ポケモンが好きなんだ…!」
彼女「…………」
彼女「……それが?」
よかった…ッ!
そんなわけで今後ともよろしくお願いします。
オチ? ねえよ。
コメント
見事な親ばかっぷりを発揮。
という未来を期待して待ってるww
しかしまさかCHANGさんからコスプレという単語が出ようとは…wwwww
子どもはまだかなあ。
でも、友達の子どもがポケカしてるって聞いて
月日が経ったなあと思います。
>アサノくん
言わなきゃ良かった過去のオンパレード。
これが僕なの!もっと見て!ほら!もっと!
>ななはちさん
いかにクオリティ高く作るか、
擬人化する際にイメージを崩してないか等
意外と楽しいです。あと、当時は若かったから
グラエナコスのとき腐女子に超モテた。
うひひ! 嬉しくねえ!
>やすみんさん
コレクターではないものの、こんだけポケモンにのめり込んだ
人間はそうはいないと自負しています。実は古参だったんですよ。
なので、ポケカに関してだけは長老気分。
DPが古いなんて…ホッホッホ、若いのう…的な。何様。
当時のイベント会場はコスプレしやすかったんですよね。
パシフィコとかメッセとかだったから。
今はきっとやれないでしょうねー。
うひひ。
ってふざけて言ってた筈なのに、
もはや冗談ではなく本気でおっさんに。
最初にあったのは、中学だか高校の頃。
その頃から今まで10数年の事を思い出すと、
何とも言えない気持ちが沸き立ちます。
本当に色々あり過ぎて、口には出し切れないですね。
Pコンは本当に楽しかった。
腕章も思い出にと、綺麗に取っておいてます。
お互い仕事も家庭も持ってあの頃みたいに
好き勝手出来なくなってしまいましたけど、
またいつかイベント。やりたいですね。
ZONEみたいに、10年後位に。
オッサンにビジュアル系なコスは出来ないよ!
許されるのは24歳まで!
…ええと、どこにやったかの…
>syun
イベント終わった直後、トイレで泣いたなあ。
よくやったよみんな。
あのイベントは本当に一生の思い出。
たぶん同じイベントは出来ないけど、
また集まりたいな。
俺らはちょくちょく会ってるけど(笑